3日前に投稿
子どもがお手伝いをしたとき、子どもをほめないことが大切なんだ。「いい子だね」とか「えらいぞ」というほめ言葉ではなく、子どもが手伝ってくれたことを感謝して、喜ぶのが「正解」なんだと。子どもにとって親は大きな存在。そんな親から「ありがとう」「助かった」「嬉しかったよ」という気持ちが伝われば、これほど嬉しいことはない。「ほめ言葉」という報酬のためのお手伝いではなく、「役立つこと」の喜びそのものが報酬になるのだ。
3日前に投稿

僕がTDLで働いているいた時に1番スゴイと思ったのは、アルバイトが新しいサービスや既存サービスの改善策を提案してそれがどういうプロセスで実際に現場に反映されるか、全てロードマップとして提供されていて、それを自由に利用することが可能になっていた点。

何が言いたいかというと、これは政治家とかも良く言うんだが、皆さんのお話聞かせてください!アイディアをください!と言っても、話の通り道とその案内図が無ければ、永久に反映される事は無いと言うことだ。あー、スッキリした。

4日前に投稿

Q6
これまでよく使われていた「士農工商」や「四民平等」といった記述がなくなったことについて,理由を教えてください。


 かつては,教科書に限らず,一般書籍も含めて,近世特有の身分制社会とその支配・上下関係を表す用語として「士農工商」,「士と農工商」という表現が定説のように使われてきました。  しかし,部落史研究を含む近世史研究の発展・深化につれて,このような実態と考えに対し,修正が加えられるようになってきました(『解放教育』1995年10月号・寺木伸明「部落史研究から部落史学習へ」明治図書,上杉聰著『部落史がかわる』三一書房など)。
 修正が迫られている点は2点あります。
 1点目は,身分制度を表す語句として「士農工商」という語句そのものが適当でないということです。史料的にも従来の研究成果からも,近世諸身分を単純に「士農工商」とする表し方・とらえ方はないし,してきてはいなかったという指摘がされています。基本的には「武士-百姓・町人等,えた・ひにん等」が存在し,ほかにも,天皇・公家・神主・僧侶などが存在したということです。この見解は,先述した「農民」という表し方にも関係してきます。
 2点目は,この表現で示している「士-農-工-商-えた・ひにん」という身分としての上下関係のとらえ方が適切でないということです。武士は支配層として上位になりますが,他の身分については,上下,支配・被支配の関係はないと指摘されています。特に,「農」が国の本であるとして,「工商」より上位にあったと説明されたこともあったようですが,身分上はそのような関係はなく,対等であったということです。また,近世被差別部落やそこに暮らす人々は「武士-百姓・町人等」の社会から排除された「外」の民とされた人として存在させられ,先述した身分の下位・被支配の関係にあったわけではなく武士の支配下にあったということです。
 これらの見解をもとに弊社の教科書では平成12年度から「士農工商」という記述をしておりません。

4日前に投稿

しかし当時、最高の遣い手の一人であり、武士階級として知的レベルもそれなりに高かったであろう柳生但馬守ですら、武術の言語化は純粋な日本語だけでは実現できず、舶来言語体系である禅の用語を必要としました。

 だからこそ、「禅や儒教の言葉も借りず、古い軍記物の表現も使わず」、きわめて平易な、しかし不完全な当時の日本語を用い、しかも400年後に生きるわれわれのような後代の武術・武道人でも理解し納得できる武術の理合の言語化を実現した、宮本武蔵という人物の天才は、柳生を越えているのです。

「顔面突きで、相手をビビらせて居着かせろ」とか、「フェイントかけて斬れ」とか、「まず一拍子で強く打ち、そのまま粘る感覚で切っ先下がりに打てば、相手の太刀を打ち落とせる」などなど、『五輪書』の記述は、今読んでも超具体的かつ現実的です。体当たりのコツまで、丁寧に分かりやすく解説しているくらいなのですから。

 さらにすごいのは、言葉で説明すると誤解の多い点、言語化が適切でない部分について、「この技については、ちょっと言葉では説明できないので、実地の稽古で体験してくださいネ!」とまで書いてあるわけです。

 言葉にできることと、できないことを、きちんとわきまえている!

 400年前に、ここまで読者の便宜を考えて執筆しているのですから、もうこれは超絶的な現代感覚です。

4日前に投稿
本書の中心的なメッセージは「人はそう簡単に人を殺せない」という一見当たり前に見えるものだが、その内実は非常に衝撃的だ。第二次世界大戦における米軍の歩兵のうち、戦闘中にライフルを発砲した兵士はわずか10〜15%しかいない、というのである! 残りの者は自分や同僚の命が危うい状況であっても発砲しようとしなかったし、発砲した者の内にもわざと当たらないように撃った者が含まれている可能性がある。では兵士の大半は「腰抜け」なのか? そうではない。彼らは負傷者を救助したり弾薬を運んだりといった、より危険な「任務」を積極的に引き受けることによって発砲を回避しているのである。これは第二次世界対戦の米軍に特有なことではなく、むしろ歴史的にみて普遍的な現象である、と筆者は言う。平時ならソシオパスと呼ばれるであろうようなごく少数(本書によれば2%)の人間を除けば、人は自分の命が脅かされている状況でも人殺しを避けようとするのである。

『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫) (via morutan) (via hanemimi) (via sandman-kk)

こういうの僕はリアルだと感じてしまう。

(via proto-jp) (via gkojax-text) (via yaruo)
4日前に投稿

知り合いの劇画原作者に聞いた、ある病院での話。

そこの病院の某科部長は、新しくやってきた研修医のうちのひとりを、いつも「標的」にしていた。

カンファレンスでは、そいつがプレゼンテーションをするときには、これみよがしに厳しい質問をして、「お前はバカだ」と徹底的に責め立てる。

その一方で、他の研修医には、そんなに酷く突っ込みを入れずに「次までにちゃんと勉強しておけよ」と手加減してやる。

すると、どうなっていくかというと、

「ターゲットにされた一人を除く研修医」たちは、みんな、その部長を好きになるのだ。

アイツはいつもイジメられているけど、それはアイツが無能だからだ。ちゃんとすれば、あの人は優しくしてくれる。

そもそも、もし逆らったりして、自分が標的にされたら、大変だし……

そして、彼らは、部長と「仲良く」「和気あいあいと」して、「あそこの科は、いつも仲がいいねえ」なんて、病院の偉い人から一目置かれる。

4日前に投稿

33 名無しさん@13周年 2013/05/14(火) 02:22:34.51 ID:g3F3Mr630

海老や蟹だって生息域が海中だからうまいうまいと食ってるんであって、もしこいつらが家の軒下をごそごそ這い回ってたり
山の藪ん中で遭遇する生き物だったらうまいと感じても食わんと思うぞ・・・・・・・・・・・多分。

4日前に投稿

33 名無しさん@13周年 2013/05/14(火) 02:22:34.51 ID:g3F3Mr630

海老や蟹だって生息域が海中だからうまいうまいと食ってるんであって、もしこいつらが家の軒下をごそごそ這い回ってたり
山の藪ん中で遭遇する生き物だったらうまいと感じても食わんと思うぞ・・・・・・・・・・・多分。

4日前に投稿
日本の政府が発表している犯罪統計など、よほどおめでたい人間でも信じる人はいないだろう。
身の回りにいくらでも転がっている「性的被害にあったが、『身のためにならない』と言われて、ほんとうに調書をつくりますか? 自分の将来のことを考えたほうがいいと思う」と言われたという話や、「夫婦げんかは、おうちのなかのことですから、ご夫婦でよく話しあわれてください」や、「喧嘩は両成敗って、いいますよね、なぐられたあなたのほうにも悪いところがあったのではないですか」をぐるっと見渡して、それでも日本の犯罪統計が現実を反映していると考える人はおめでたいのを通り越して犯罪者的な愚か者であると思う。
犯罪者的、というのは、そういう「悪いことはないことにする」という幼児的態度は社会の角膜を白濁させていって、ついにはものを見ること自体を出来なくさせてしまうからです。
1週間前に投稿
 そして、なにより、経営しているご家族の、
 「よろこんでもらいたい」という気持ちが、
 ずうっと途切れることなく続いているんです。
 ほとんどすべてのお客さんは、
 「ごはんおかわりしてね」と声をかけられます。
 食がすすむようにと、「ふりかけ」が用意されています。
 「お待たせしてごめんね」とか「お待たせしましたね」、
 列に並んで待っているとき、献立が届くとき、
 やっぱり声がかかります。
 その声が、無表情じゃないんですよねぇ。
 「とんかつ」を頼んだら、ごく自然に、皿に、
 小さなコロッケとハムかつが乗っていました。
 
 昨日、ひさしぶりに行ったのですが、
 すべて、まったく同じでした。
 いつものおばちゃんの姿が見えなかったけれど、
 みんなの和気靄々とした感じは、いつものまんまでした。
 人間に「自己肯定感」が大事だと言われるけれど、
 お店にも「自店肯定感」があると、いいよねぇ。
 1050円持って、行列に並んで、腹いっぱい食いました。
 機嫌よくなって、ずっと歩いて帰ってきたのでした。